本当さ!

 

 

君の目には見えないだろうけど!

 

■いやまぁ考えてみれば当たり前の話なんだけど、人のことって分かりませんよね。もう少し言い換えたら、「他人の考えてる事」ですかね。発した言葉の意図とか、その言葉の裏とか。それは話した方にさえ気づいていないかもしれないし。受取る方が気づいた、もしくは気づいた気になってしまっただけかもしれないし。本当に分からないけど、自分の幸せに繋がるものを選択していきたいものですね。

 

■ふと思い立ってツイッターの過去の呟きを全て消しました。昔の自分の文章とか画像とか、バレないように自己顕示している所(しかし文面からそれがバレバレ)を見てしまって笑っちゃったので消しちゃいました。昔の自分はそれなりに愛してやりたいけど、それにしてもレベルが低いよ。俺。昔の自分と今の自分を対比しようとした時には結構自分のことが可愛く見えてしまう。良い意味じゃなくて、悪い意味でもなくて、ただ単に、「あー、この時こんなこと考えてたんだなー。」とか。そういったものが別にそんなに嫌な訳ではないけれど、どうしても他人に見せられるモノではないと感じてしまう。みたいな理由で消した。誰だって黒歴史があるのは当然だけれども、黒歴史を広げる必要も無いでしょう。このブログだっていつか消すかもしれない。ただ、文章を書くということがちょっとでも未来の私の糧になっていることを祈るよ。

  過去を隠すことは結構幸せに近づくことだと、思う。あまりに未熟すぎる過去の自分を隠す事は、他人に対しても自分に対しても結構有益だ、と思う。ただ、その過去を隠すということが過去を捨てることに思えてしまうのは何故だろうな。幸せになりたいとは常々思っていたけれど、幸せに近づく事がこんなに切ない事だとは思わなかったな。

 

■人や物事と接すると自分のエゴイズムが見え隠れしてしまって、それが相手に伝わってしまいそうで怖い時や、どうしても嫌になってしまう時、やるせなさでいっぱいになってしまう時は、形は違えどきっとあなたにもあるのでしょう。伝わらなかったから壊れてしまうものはもちろんのこと、伝わってしまったからこそ、壊れてしまうものもきっとあるでしょう。それに加えて、それが後々愛しく思えたりするのだから、余計に苦しいよ。

  自分の過去と他人の今を比べたりしてしまって、相手の生きてきた背景を自分に当てはめてしまって、相手の理解をおざなりにしてしまうことがあるよ。他人の思ってる事が見えないからって、自分に全て置き換えてしまうことは、間違いだと分かりつつもしてしまって後悔することが多いよ。自分が体験した物事を他人の体験している物事にも適切に置き換えて人と接していきたいよ。人の痛みにまで鈍感にはなりたくないよ。それが自由の為に戦うってことかい、TAKUYA00さん。

 

 人付き合いに加えて、過去付き合いも、考えながら付き合っていくしかないのだな。いつかは拡声器持てるようになれるかな。大きな声で怒り散らせるようになるのかな。ゴーゴー。お後がよろしいようで。