生活の仕方

難しいよね

 

■自分を含めた誰かを幸せにしたいと思った事で誰かを傷つけたり怒らせたりしてしまった時って切ないですよね。

 「自分のした行動がどういう結果を招くか」とかの考えが足りないこと、それには気づいたけれど解決策が面倒くさくなってやめてしまったこと。そして後々にそれによって傷ついたり傷つけたりしてしまうこと。面倒だし、阿呆だし、馬鹿だし、何よりそれ故に苦しい。善意は善意のまま広がってほしい。真に善意を突き詰めた行動なら誰かを傷つける事も怒らせる事もないのかな。それが出来る人になりたいな。なれるのかな。

 

 こんなにたくさんの人がいて、それぞれにバックグラウンドがあって、それを踏まえて生きなくてはいけない面倒な世の中なら自ら死を選ぶの者が出るのもそりゃそうだ、と思う。死ぬのは怖いから自らその道を選ぶ事は無いだろうけれど、それでも「死ねないから」の理由一つで生きていくには生きることは面倒なことが多い。楽しいというフィルターもいずれは面倒くささに蝕まれる気がする。面倒を乗り越えた先に何があるのか、なんて先の事はいつまで経っても考えるのが怖い。そもそも、そういったことが面倒だ、と思ってしまう節が多い私は生活を営むのが向いていないのではないだろうか、とも思う。どれだけ考えても、どれだけ突き詰めたとしても、どれだけ納得をしたのだとしても、プラスの感情につきまとうマイナスの感情の揺さぶりは自身の営みの中に非常に多い。その揺さぶりは忘れてしまったら他人の痛みにも鈍感になってしまいそうで、捨てられないのかもしれない。ただ、そうやって正しく見せようとしても、それでも、生活をするのは

 むずかしいよねーーーーー本当に

 

 

 ■まりえちゃんがそろそろ帰ってくる。あの時と比べてどれくらい自分の事が好きになれただろうか。結構好きになれた気はするけれど、ふとした瞬間に嫌いになってしまう危うさはいつまでも抱えていかなければならなそうだ。あなたもそんな時はたくさんあるのでしょうが、あなたが幸せだと感じることが誰かのマイナスの感情のきっかけとなりませんように。そう祈るばかり。ハレが活動を再開したら私はどんな曲を作るのかな。まず第一に自分のことを嫌いにならないような曲だったらいいな。あわよくば、誰かがそれを聞いて心を動かしてくれたらいいな。

 別に「生きる活動」なんて大した事は言わないけれど、ただ、あなたの感情を引き出せるくらいの人に、俺だってなりたい。どんな形であれど。以上。