みんな一生懸命生きててすごい

 

■こうやって安易に「みんな」って言葉を使うとケチつけられるのかな。アメリカ人じゃないんだし別にいいじゃん。(俺はケチつけたくなるタイプだけど)

 どっかで聞いた(予防線の意)心理学的な知識を引用すると、人間は同じ事が二回以上起こった時点で「これ多いな」とか思う傾向があるらしい。あなたにもありませんか、「最近この服流行ってるよね」って友達に言ったりしちゃったこと。実際見たのはその人で二人目だったのに。そんな感じ。

 つまり、私も人として生きていて、同じように思ってしまったのでタイトルをつけた次第です。みんながみんな一生懸命生きてるなんて本当は思ってないよ。ただ自分のバイアスがかかっているのを承知で言えば、怒ったり悩んだりする人は一生懸命生きているって感じがするよ、生きていて大変そうに見えてしまうから。

 

■生活をしていく中で、何かに怒ったりする人、何かを悩んだりする人、なんでこんなに一生懸命になれるんだ、とよく思う。それは自身の幸せに繋がること、なのかな。怒りも悩みも「自分の感情を相手に伝える」という点で結構似ていると思う。

 自分の感情を相手にぶつけるってことは、非常に面倒なことだし、非常にリスクが高いことだとは皆さんご存知の通りだと思う。だって批判されるじゃん。それに評価されるじゃん。よくやるよ。

 

■自分の感情を出すことが評価されることに繋がるのであれば、自分が評価されてもいいポイントに絞って感情を出せたらきっと生きやすくなるかな。でも、人が営みを送る部分(コミュニケーションとかそういったこと)はきっと最低ラインなんだろうな。それが出来なかったらどういう扱いを受けていいのか、受けてしかるべきなのだろうか。

 話してて内容が通じない人はイライラする。でも同時に、相手からもイライラされる。立場が逆転しても同様。それだけの話なのに、やりきれないよな。

 

 相手の感情がぶつけられた時、無条件で謝りたくなるのは、きっとあなたもそうでしょう。だって相手が怒ってるんだもの。衝突を避けたいとかそんなこと考えずに、そこまで感情を出させたことにたいして謝りたくなってしまわないかい。あと俺はなんて言っていいかわからなくて謝ってしまう時が多々あり、同時にその自分に対して嫌気がさすときが結構あるのだけれど、どうですか。私たち良い友達になれそうですか。

 

 誰かから許しを得たり、生きていていい許可をもらってる訳じゃないのに、謝って許されなくちゃ、許可をもらわなくちゃ生きてる資格がないみたいに思う。なんでだろうな。

 君に言ってるんじゃないよ、あなたに言ってるんだ。

 

 そういえば、一生に命なんて、最初から懸かってた。こう考えると、誰もが一生懸命な気持ちがしてきた。(実際の成り立ちとかの補足はめんどいからしないよ。)

 

 あぁ、ごめんよ、今まで不快にさせた人。あぁ、これは言っちゃうよなやっぱり。いつか笑い話に出来たらいいな。一生に命懸かってんだったら、一笑に命懸けるくらい出来るかな。漢字変換みたいに簡単に出来たらいいな。お後がよろしいようで。